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針間産婦人科院長 金子法子
日本性感染症学会認定医
今年おイネ賞受賞
自分の医院での診察だけにとどまらず講演、学会、講習会と秒単位で日本各地 を飛び回っているパワフル女医。その根底にあるのは人の生に対する熱い思い。
クラシック音楽には造詣もなく、たまにコンサートに出向いても交響曲以外は必ずと言っていいほど睡魔との闘いになる、全くもってこの場にエッセイを書くには不似合いの我が身ではありますが、石井先生の御子息が前院長の時代に当院でお生まれになったこと、そして個人的にも最近、御夫妻と親しくさせて頂く機会に恵まれたことより、執筆依頼をお引き受けした、山口県宇部市で産婦人科を開業している金子法子と申します。
針間産婦人科は昭和44年の4月に宇部市常盤町に開業した、今年で48年目を迎えた古い医院です。私は4人兄弟の一番上で、先代院長の長女ですが、別にどうしても産婦人科医になって家業を継がなきゃいけないという立場ではありませんでした。しかし、蓋をあけてみれば、弟二人は精神科医として東京で活躍、一番下の妹は難民を救うNPO団体で働き、香港を拠点としています。亡き父は針間法人、私の名前は父の字を一字もらっての法子。兄弟の中で一番出来の悪かった私が産婦人科医となり跡を継ぐことになろうとは夢にも思っていませんでしたが、やはり法子という名前が付いた時から、これも天命だったのかなと今ではそう感じています。平成13年の6月に、脳出血で69歳という若い年齢で突然仏様となってしまった父の跡を継ぎ、現在に至っています。
当院は気がつけば市内で一番古い産婦人科医院となり、内装はまめに変えてはいますが、建物そのものは立て替えることもないまま、昔ながらの昭和の容貌のままです。それでも毎日たくさんの患者さんが来院して下さっています。お産もたくさんはありませんが診ておりますし、三代続けて当院でお世話になります、、、という方も多く、また、お若い時からずっといらっしゃっている方も多くて、家族背景まで把握している患者さんも少なくありません。それでもまだまだ産婦人科の敷居は高く、父の跡を継いだ時から、私が外に出て行き、産婦人科がどのような場所で、どんな性と生のドラマが繰り広げられ、命と日々大事しているかを伝え、地域の女性の駆け込み寺でありたいと今日まで過ごして参りました。もうかれこれ15年くらい続けている、県内の小中学校への性教育講演は、私のライフワークの核となるもので、それに付随して、女性への健康教育、人権教育の一環としての性と生を考える講演、最近は加えて、DVやレイプ、虐待などなかなか当事者が声を上げられない事例に対して、行政や各関連機関とネットワークを結び、向き合っていることも大切にしています。そして、全ての命が望まれて生まれてくることを祈りつつ、正しい避妊知識や妊娠の仕組みが解らないまま妊娠したり、知識はあってもNO!が言えずに妊娠に至り悩み苦しんだり、解っていても、家に帰っても自分の居場所すら無い子どもたちが、寂しさの穴埋めにセックスに走ることに対して、一切責めることなく、辛い話を勇気を持って話してくれたことに対して感謝し、これからの未来に向かってどうすることが一番いいのか共に考えて行く、、、そんな関わりをずっとして来ています。
世間は「負の連鎖」の一言で済まし、テレビや新聞では評論家がまことしやかに原因などを話していますが、現場は一人一人が抱えている内容も重さも違い、それらを丁寧に根気よく聞いていき、一度も誉められたことがない自尊感情も低い子たちに、それでも未来はあるし、いい方向に進むんだと体感してもらうには、我々大人はまずは今を認め、心を抱きしめ、いつでもいらっしゃいと手を差し伸べることこそ大事だと思っています。核家族どころか、親子関係が複雑で孤立したお子さんや貧困に悩む御家庭もたくさんあります。もし若いママが街で赤ちゃんを抱っこしている姿を見つけたら、「可愛いですね。良く笑いますね。あやし方が上手ですね。」と声をかけてあげて下さい。それだけで救われるお母さんはたくさんいます。社会がもっと優しくなって欲しい、身体の障がいはもちろん、生き方の多様性にも優しく寛容であって欲しいと心から願います。
この度、シーボルトの娘で、日本で最初の女医、楠本イネ先生にちなんだ「おイネ賞」という、地域貢献や学究に勤しみ、女医のロールモデルとなり得る医師一名に贈られる、身に余る賞を日本医師会からの推薦により受賞することとなりました。私でいいのですか?という気持ちは今もあるのですが、これから残りの人生を、もっともっと悩める女性のために生きなさいという叱咤激励の賞だと理解し、表彰式に臨もうと思っています。
石井御夫妻の奏でる素晴らしい音楽も、私の日常も、180度違うようで実は共通点もあるように思います。生き辛いと思う人たちの心の栄養になりたい、、、それは形こそ違えど同じベクトルの先を向いているのではないでしょうか。これからも微力ながら、地域と共に歩んで行きます。
高校生に対する性教育
中学生が対象
小学生が対象になることも
林良昭
鹿児島市内科胃腸科病院理事長
語り合っていると彼のふつふつとわく発想に音楽と医学の識別が難しい位一体となっているからかと思わされる南国薩摩の名医
今年の1月25日に日本フィルのお力添えもあって、当院で四季を通じて行っている院内ロビーコンサートに石井啓一郎氏(ヴァイオリン)、石井啓子氏(ピアノ)の世に名高いK&Kご夫妻をお迎えして演奏して頂く機会に恵まれました。
終演後、感動の余り、その場を離れることが出来ず興奮のるつぼにうずくまっている方が多かった事は正に音楽の力を感じさせる一幕でありました。
ロビーコンサートは間近で名演奏に接し、音楽の真髄に触れる感動はホールで接する音楽とは異なり、全身に神秘的な力を与えてくれるものです。
私は医療の現場で音楽の持つ底知れぬ力を信じ、音楽療法の導入を考えてきました。患者様のみならず、多くの方々の感動は、大きな力となり、今ではささやかではありますが、新風を生んでいます。
近年、世界の長寿国の道を進んでいる日本ですが、年齢を重ねるだけでなく、健康長寿で長寿を保ち、生きている喜びを実感できる長寿国にしなければなりません。そこに欠かせないのが「音楽の力」だと思っています。高齢者の方々に笑顔を取り戻し、生きていることの幸せを感じて戴くことも大事です。老若男女を問わず、明るい世界、明るい人生を育む音楽の力を信じて音楽を聴き、歌い、日々を前向きに生きて行きましょう。
音楽と共に生まれる笑顔を求めて。
石井先生ご夫妻との出会いは毎年4月29日高校の同級生江野尻宅で開かれる若葉を見る会に出席した時でした。
40名近くの人が集まり、手作りの美味しいご馳走を食べるとても楽しい会です。琴やピアノ等の演奏もあり、特に石井先生のバイオ リンと大変美人の奥様のピアノとのコンビの演奏は大変すばらしく感動しました。バイオリンの曲は難しいと思っていましたがユーモアを交えての解説で面白く 生の音色に聴き入りました。(ちなみに私も中学時代の学芸会で校長先生のバイオリンを借りて舞台で弾いたことを思い出しました。キーキー大変な音だったと 思います。その時だけで今は全く弾けません。)演奏の後、庭園で食事をしながら皆が自己紹介や近況報告などをする際、私は2年前に間質性肺炎と診断された 話をしました。原因も治療法も分からない難病の一つです。市の検診で胃カメラの再検査があり、結局異常なしだったのですが、その少し前から軽度の運動や ゆっくり泳いでも大変苦しくなる旨を医師に話すとすぐに検査してくれて間質性肺炎であることが判明、点滴と酸素ボンベの処置となりました。でもその病院は 専門ではなかったので医療センターを紹介され、そちらでまた検査を受けました。やはり間質性肺炎であることは間違いなく、それも数値が相当悪いと診断され ました。但し、今の治療法ではステロイドを使うしかなく、先生の30年の経験からステロイドは副作用が激しいし対話をしていても元気そうに見えるので少し 様子を見ましょうということになりました。それからひと月ごとに採血とレントゲンでデータを取りましたが、数か月後には数値が下がり7か月後に平均値まで 落ちたのでした。先生は何もせずに経過を見るだけで数値が良くなったのは初めてと驚いていました。その間畑仕事も水泳も続けていました。この病気は肺と肺 の間から酸素を送り込む機能が壊死して再生できないので無理が出来ないのですが、今考えると良い先生に出会った事が良かったと思います。最初の病院にあの まま入院していたらどうなっていたことか!! 大学時代の友人は腰痛が激しくなって大病院で手術した結果歩けなくなり、別の病院で診察を受けたら誤診だっ たことが判明したそうで、彼は必ずセカンドオピニオンを持てと助言していました。
私は元来のんきな性格なので難病と言われた時も何となくああ仕方ないな、なるようにしかならないなと言う心境でした。その間に同 居していた元気者の姉が癌と診断され昨年7月に亡くなりました。今は家内と二人で野菜作りに励んでいます。家内も西条に来てよく頑張ってくれており体調も 以前より良くなっているように思います。
これからの人生、人との出会いを大切にしてあまりくよくよせず、明るく元気よくをモットーに生きていこうと思います。江野尻夫妻 の温厚な性格で集まる人達も石井先生ご夫妻を始め良い人達ばかり。また来年の若葉を見る会での名演を楽しみにしています。野菜も愛情を持って育てれば良い 作物が出来ます。人も同じくらい良い人間関係を作っていきたいと思います。(東広島市西条在住)