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天声私語 vol.78
間質性肺炎を患って


石井先生ご夫妻との出会いは毎年4月29日高校の同級生江野尻宅で開かれる若葉を見る会に出席した時でした。

40名近くの人が集まり、手作りの美味しいご馳走を食べるとても楽しい会です。琴やピアノ等の演奏もあり、特に石井先生のバイオ リンと大変美人の奥様のピアノとのコンビの演奏は大変すばらしく感動しました。バイオリンの曲は難しいと思っていましたがユーモアを交えての解説で面白く 生の音色に聴き入りました。(ちなみに私も中学時代の学芸会で校長先生のバイオリンを借りて舞台で弾いたことを思い出しました。キーキー大変な音だったと 思います。その時だけで今は全く弾けません。)演奏の後、庭園で食事をしながら皆が自己紹介や近況報告などをする際、私は2年前に間質性肺炎と診断された 話をしました。原因も治療法も分からない難病の一つです。市の検診で胃カメラの再検査があり、結局異常なしだったのですが、その少し前から軽度の運動や ゆっくり泳いでも大変苦しくなる旨を医師に話すとすぐに検査してくれて間質性肺炎であることが判明、点滴と酸素ボンベの処置となりました。でもその病院は 専門ではなかったので医療センターを紹介され、そちらでまた検査を受けました。やはり間質性肺炎であることは間違いなく、それも数値が相当悪いと診断され ました。但し、今の治療法ではステロイドを使うしかなく、先生の30年の経験からステロイドは副作用が激しいし対話をしていても元気そうに見えるので少し 様子を見ましょうということになりました。それからひと月ごとに採血とレントゲンでデータを取りましたが、数か月後には数値が下がり7か月後に平均値まで 落ちたのでした。先生は何もせずに経過を見るだけで数値が良くなったのは初めてと驚いていました。その間畑仕事も水泳も続けていました。この病気は肺と肺 の間から酸素を送り込む機能が壊死して再生できないので無理が出来ないのですが、今考えると良い先生に出会った事が良かったと思います。最初の病院にあの まま入院していたらどうなっていたことか!! 大学時代の友人は腰痛が激しくなって大病院で手術した結果歩けなくなり、別の病院で診察を受けたら誤診だっ たことが判明したそうで、彼は必ずセカンドオピニオンを持てと助言していました。

私は元来のんきな性格なので難病と言われた時も何となくああ仕方ないな、なるようにしかならないなと言う心境でした。その間に同 居していた元気者の姉が癌と診断され昨年7月に亡くなりました。今は家内と二人で野菜作りに励んでいます。家内も西条に来てよく頑張ってくれており体調も 以前より良くなっているように思います。

これからの人生、人との出会いを大切にしてあまりくよくよせず、明るく元気よくをモットーに生きていこうと思います。江野尻夫妻 の温厚な性格で集まる人達も石井先生ご夫妻を始め良い人達ばかり。また来年の若葉を見る会での名演を楽しみにしています。野菜も愛情を持って育てれば良い 作物が出来ます。人も同じくらい良い人間関係を作っていきたいと思います。(東広島市西条在住)

 


中村良三
山口県周防大島出身、少年時代から体格に恵まれた健康優良児で水泳を得意とし大学時代優勝の経験、今でもマスターズ水泳選 手権 70〜74歳クラスで日本記録保持者。証券マンだったが引退後は米作りと野菜作りに挑戦中。奥さんの多大な内助の功は言うまでもないが、彼の辞書には 「苦」の字はないのか、いつもニコニコして笑顔が頼もしい。


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