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2011年の抱負
 父の納骨の儀を執り行った日、宏樹庵に集まってくださった方々に出石から取り寄せた蕎麦をふるまった。
出石は但馬の小京都とも言われる兵庫県北部の古い街で、温泉で知られる城崎と天橋立との中間くらいに位置する。昔はお城があり、お殿様が信州から蕎麦を持ち込み皿そばが有名になった。今は豊岡市に合併された。豊岡市は私たちが子供たちのまだ小さい頃から毎年演奏会で訪れ、またみんなで毎年夏休みになると山口県の祖父母のところに帰る途中に寄ったりしていたので、私たちにとっては第二の故郷のような所。出石にもよく足を伸ばしてお蕎麦をいただき、食べた皿を積み重ねて、お店に張り出してある「横綱」の高さと比べてみて凄いなあと感心したものだった。
それ程懐かしい土地柄なのだが、母の書の師匠である仲田光成先生(1899〜2003)が亡くなられた後、先生の故郷 竹野町に先生の記念館が建てられた。竹野町は城崎より少し先の日本海側に位置するが、今は豊岡市になった。思いがけない事だったが、私たちにとって懐かしい所に、母はたびたび書展などの仕事で訪れるようになった。
そんな訳で、納骨の折に出石の蕎麦を取り寄せたのだったが、その時言われたのは、この辺りではうどん文化が盛んで蕎麦はあまりないとの事。そういえば讃岐うどんなどのうどん屋さんやラーメン屋さんはあってもお蕎麦屋さんは見かけない。

でも酒好きにはやはり蕎麦だと思う。
時代劇には蕎麦を食べる場面が多い。
知り合いのK氏によると、江戸では魚介類を使った寿司が発展し、豊富な魚介の種類そして調理法が編み出されたが、蕎麦の組み合わせとしては海老や穴子の天ぷらくらいで非常にシンプルだった。それは一つに、蕎麦は庶民の食べ物で安く早く食べるものだったからと言う。
勝臨太郎の見初めた女の人が、勝が蕎麦を食べたいと申し出ると即座に蕎麦を打って出す。あれがやってみたい。
一応、宏樹庵には蕎麦打ちの道具は揃えてあって本も買った。でも本を見ながらやってみてもなかなかうまくいかない。2011年は一年間で蕎麦打ちをマスターして、宏樹庵に住むようになったら、一人で蕎麦が打てるようになりたい。
蕎麦好きの人、この指止まれ!


宏樹庵にある蕎麦打ちの道具