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うばゆり

   うばゆりを井戸守として武家屋敷   紅樹

この句が頭にあったので「うばゆり」は「乳母百合」だとなんとなく思っていて、何か仏に近い存在のように感じていた。
星野村という美しい村に住んでいる山本源太さんという詩人で陶器なども作っている人のお宅に伺った時、広い庭のあちこちにうばゆりが咲いていて、石井が宏樹庵に植えたいと言ったら、その後、彼は本当に苗6株と種を送ってくれた。私は大喜びで宏樹庵のあちこちに植えた。ところが、なかなか根付かなくて、青々した葉が出てきたと思っていたら、いつの間にか無くなっていたり、やはり土が合わないのかとがっかりした。ただ一箇所、小径の入り口近くに植えた2株だけはどうにか育つ様子だった。
それが今回、6月20日に帰ってみると、ロケットのような蕾をつけているではないか!
それは見ている間にもぐんぐん上に伸びそうな勢いだ。
うばゆりは、種から芽生えて6〜8年してやっと花が咲き、花が咲き終わると枯れてしまうという一生に一度の花の時期を持っている。ということは、源太さんの送ってくれたのは苗ではなくて4年ほど経ったものだったのだろうか。
うばゆりの名前の由来は、花が咲く頃にはもう葉がぼろぼろになって、葉(歯)のない姥のようだからということを今回初めて知った。乳母百合と思っていた私にはちょっと意外だった。長い間子供を育てて、子供が成人したら自分は身を引くという風に思っていた。井戸守をするにも、すっくと立った姿に、何か威厳がありそうだ。
7月に帰ってくるまでに咲いてしまったら残念だ。もし咲いてしまっても、次の世代のうばゆりが是非育ってほしい。

今回はもう一つ、私が仏に近いと感じている夏椿の花も満開だった。沙羅の花とも言う。まんまるな蕾がぽっと開くと、真っ白い花は黄色い蕊を抱いている手のひらのようで、神々しいほどだ。

  うちしきてあしたの沙羅のよごれなし   長谷川素逝

うばゆり

夏椿