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音楽の力

林良昭先生

林良昭

鹿児島市内科胃腸科病院理事長

語り合っていると彼のふつふつとわく発想に音楽と医学の識別が難しい位一体となっているからかと思わされる南国薩摩の名医

 

今年の1月25日に日本フィルのお力添えもあって、当院で四季を通じて行っている院内ロビーコンサートに石井啓一郎氏(ヴァイオリン)、石井啓子氏(ピアノ)の世に名高いK&Kご夫妻をお迎えして演奏して頂く機会に恵まれました。

終演後、感動の余り、その場を離れることが出来ず興奮のるつぼにうずくまっている方が多かった事は正に音楽の力を感じさせる一幕でありました。

ロビーコンサートは間近で名演奏に接し、音楽の真髄に触れる感動はホールで接する音楽とは異なり、全身に神秘的な力を与えてくれるものです。

私は医療の現場で音楽の持つ底知れぬ力を信じ、音楽療法の導入を考えてきました。患者様のみならず、多くの方々の感動は、大きな力となり、今ではささやかではありますが、新風を生んでいます。

近年、世界の長寿国の道を進んでいる日本ですが、年齢を重ねるだけでなく、健康長寿で長寿を保ち、生きている喜びを実感できる長寿国にしなければなりません。そこに欠かせないのが「音楽の力」だと思っています。高齢者の方々に笑顔を取り戻し、生きていることの幸せを感じて戴くことも大事です。老若男女を問わず、明るい世界、明るい人生を育む音楽の力を信じて音楽を聴き、歌い、日々を前向きに生きて行きましょう。

音楽と共に生まれる笑顔を求めて。

 

 

 

今、夜の8時を少しまわった頃。雨がしとしとと降っている。宏樹庵の池のカエルが一匹、大きな声でグエーッグエーッグエーッと鳴いている。このカエルは何のために鳴いているのだろう。友達を呼んでいるのか。と、思いがけなくもう一匹クルルルと加わる。そしてすぐ黙った。

宏樹庵は市道から50m以上も竹やぶの間を入った所にある。市道もこの上には何軒かしか家がなく、行き止まりになっているので通る車は住民か、あるいは配達か何か住民に用事がある人のみ。この時間には全く車の音はしない。

はるか遠く下の方に山陽本線が通っている。1時間に2本の往復、それに貨物列車の音がここまで聞こえる。

昼間は鳥の声がよく聞こえる。鶯が何羽もいて、最近ホトトギスの声が時々聞こえる。

ふと、カエルが鳴き止む。雨の音のみが聞こえる。さっきより雨足が強くなったようだ。ラジオではこのあたり、これから大雨になると言っていた。風はなく、竹やぶはしんとしている。またカエルが鳴き始めた。ずっと鳴いている。グエーッグエーッグエーッ・・・

 

さあて、練習を始めよう。

この自然の音に逆らわないような音で弾けるように。

日本フィル夏休みコンサート

日本フィルは1975年から学校の夏休み期間中に「親子コンサート」を東京近郊何か所かで開催している。

柔らかな感性を持つ子供たちにこそ音楽の持つ力の素晴らしさを届けたいという思いからだ。42年間で延べ600公演に120万人が来場していると言う。一応4歳からという規定はあるが、うちの孫どもは3歳から楽しんでいる。最近は「親子」ではなくて「おじいちゃんおばあちゃんと孫」というケースも多くなっているようだ。そのためではないだろうが、タイトルも「親子コンサート」ではなく「夏休みコンサート」になった。

演奏会は3部構成で、1部で本格的なクラシックのオーケストラ曲を聴かせ、2部ではバレエなど(今年はプロコフィエフのシンデレラ)が入って見た目にも楽しい。3部は子供たちが知っている歌をオーケストラをバックにみんなで歌う。

今、子供たちだけでなく、大人も一人でゲームをしたり、パソコン上でやり取りをしたり、或はユーチューブなどで一人で音楽を聴いたりすることが多くなっている。生身の人間を避けているように、挨拶も顔を見てしないと言う。

演奏会というのは、生身の演奏者が渾身の力で演奏し、それを聴く方も受け身ではなく、自分自身の身体の全てを使って聴いて、そこに感動が生まれる。そして、演奏会に来ている人達みんなでそれを共有する。

夏休みコンサートに来る人達は音楽通の人ではないと思う。でも、足を運んで聴いてみたら演奏会終了後の気持ちは何か楽しくなっているはず。家族で聴いた人たちは家庭に帰ってからもその話題で話すことになろう。

 

今年8月9日(火)に初めて京都で夏休みコンサートが開催される。

永年日本フィルも関西での公演を考えてはいたが、予算の面で実現できなかった。今年、京都に本社を置くローム株式会社の冠のもと、新しく完成したロームシアター京都オープニング記念事業の一環としてやっと開催にこぎつけた。

関西にもいくつかのオーケストラはあるのだが、どこもまだ夏休みコンサート的な企画は手がけていない。実力のある日本フィルの夏休みコンサートが、今回限りではなく、関西の子供たちの中にも是非浸透してほしい。

 

6月19日私達はそのために京都に出かけた。

集まったのは日本フィル事務局の人と私達のリサイタルでお世話になっている人達。

それぞれの人が何枚チラシをどこに配って、どうやって宣伝し、チケットの販売はどうやってすればいいか、知恵を出し合った。

さあ、頑張らなくては。

秋ナス

最果ての東の小さな島国日本の誰もが知っているシューベルト。31歳でこの世を去った時は、ヨーロッパはおろか、生まれ育ったウィーンですらその名を知る人は限られていた。生前、ほとんどその才能が世に知られていなかった彼の死んだ年。「幻想曲」という名のピアノとヴァイオリンの二重奏曲を彼は書き残した。

その曲を今年のリサイタルで演奏した。

いろんな野菜を作り始めて20年は経って、最近は耕運機を使って本格的にやり始めたが、どの解説書にも作り易く初心者向けと書いてあるナスが昔から相性が合わず、まともに育った事がない。ナスだけは心が砕けて、苗に手を出せなくなってもう十数年になるだろう。

もともと楽器の演奏が不得手な当時としては珍しい音楽家シューベルトが、この「幻想曲」ではヴィルトゥオーゾな超絶技巧を要する曲に仕上げている。パガニーニやリストも一目置く演奏家に遭遇し刺激を受けて書く事に思い切ったようだ。

そのナスを思い切って3株のみ今年は買った。そして植えた。おそらく駄目だろうと見越してあまり肥沃な場所には植えなかった。

「幻想曲」をさらい始めて、何とも難しい。誤魔化したらどうにかいくが誤魔化しが効かない。取り組み始めて深いため息を人知れずするような日々が続く。

植え付けたナスは案の定うらなり然として、成長という意志をどこかに置き去りにしたような姿を来る日も来る日も晒していた。同じく植えた8株のトマトはみるみる太く高くなる。キュウリも毎日毎日つるを伸ばし空へ空へと成長し始めた。

シューベルトの歌曲の持つ比類ない抒情性を息づかせ、なお超絶技巧の鮮やかさをピアノもヴァイオリンも強く求められるこの曲は、魅力的であるからこそ余計に上手く弾ける見通しが立たない。

ナスは少し伸び、何よりも芽の紫の濃さが希望を与えてくれる。芽の紫が濃ければ濃い程、成長している証。

リサイタルの本番は「幻想曲」は一つの域を乗り越えられ、皆さんに喜んでもらった。

無事終えて十日ぶりに岩国に帰り、すぐ畑に出向いた。ナスの苗はぐんと逞しく張り、黒に近い芽がいくつも付いていた。濃い紫のナスの芽は梅雨の中休みの強い日を浴び、正しく天を向いて真夏を待つ。

夏休みの大勢の来客に喰われるのを待つ。

ガリアーノ復活
6月4日京都 7日東京でのリサイタルが無事終了した。
病気がちだったガリアーノ、京都のリサイタルの直前にとうとう魂柱が倒れた。急遽宇部の秀太郎の所へ駆け込んで診てもらった。新しい魂柱に替えて、立てる場所も石井が弾きながら調整。その結果は、石井が魂柱が倒れてむしろ良かった。そうでなければあの調整は出来なかったのだから。と喜んだ程だった。
京都のホールは良く響く。客席で私が聴く限り、シンフォニア岩国の時のような惨めな感じではなかった。
それから3日。フラジオが出にくかったり、何だか無理して音を出している…昔のような豊潤な音が出ないと感じる。
コルンゴルトの小品に始まってシューベルトのソナチネ、クライスラーの小品4曲とリサイタルにしては聴きやすい曲が前半に並ぶ。後半はウェーベルンの研ぎ澄まされた音のみで構築された4つの小品とシューベルトの幻想曲。音楽の美しさは出せたと思った。
いつもの店で打ち上げ。こっそりA氏に聞いた。ヴァイオリンの音はどうだったかと。充分楽しめたけど、以前の音を知っているので今一つと言う。秀太郎の師匠も聴きに来ていた。10日、ガリアーノを持って彼の所へ行った。調整1時間余り、魂柱の長さを少し削って立てる位置も変えた。そのお陰で、嬉しい事にガリアーノの音が戻った!
秀太郎の師匠は素晴らしい!

それと今回アンコールにはシューベルトの「楽興の時」を考えていた。
元はピアノの曲で簡単な曲なのだが、クライスラーが編曲して洒落た曲になっている。これがクセ物だった。素敵な曲なのにものすごく難しいと、石井は京都に発つ3日の最後の最後までその曲を練習していた。京都では何とか弾いたが、東京ではもう弾かないと言って別の曲にした。
「楽興の時 Moment musical 」幻の曲となった。いつの日にか聴いてもらえるかもしれない。待っていて欲しい。